はじめに
「上司のリーダーシップが部下の学習意欲に影響を与えるのか?」
この問いに対して、神戸大学の砂口文兵氏による研究「学習志向性に対する変革型リーダーシップの影響とそのメカニズムの検討」(2017)が興味深い知見を提供しています。
研究の背景
企業の競争力を高める上で、従業員の学習は重要な要素です。しかし、すべての従業員が積極的に学習に取り組むわけではありません。特に、企業特殊的なスキルの習得は、キャリアの考え方や雇用形態によって、その向き合い方が異なってきます。
では、従業員の学習意欲を高めるには、どのような働きかけが効果的なのでしょうか?
研究の焦点:学習志向性と変革型リーダーシップ
この研究では、従業員の「学習志向性」に着目しています。学習志向性とは、学習に対する個人の態度や姿勢を表す概念です。
学習志向性が高い人の特徴:
- 新しいスキルの獲得に積極的
- 自身の能力開発に意欲的
- 成果だけでなく、過程からの学びを重視
研究では、この学習志向性を高める要因として「変革型リーダーシップ」の効果を検証しています。
変革型リーダーシップの4つの要素:
- 知的刺激:新しい考え方や視点の提供
- 個別的配慮:部下一人一人への丁寧な対応
- 理想化された影響:リーダーへの信頼と尊敬
- モチベーションの鼓舞:ビジョンの共有と動機づけ
研究から見えてきた重要な発見
1. 直接的な影響
分析の結果、上司の変革型リーダーシップは、部下の学習志向性に直接的な正の影響を与えることが判明しました。これは、部下が上司の行動を観察・模倣することで、学習に対する積極的な姿勢が育まれることを示唆しています。
2. 組織コミットメントを通じた影響
さらに興味深いことに、変革型リーダーシップは「組織コミットメント」(特に情緒的コミットメント)を通じて、間接的にも学習志向性を高めることが分かりました。
この間接的な影響は以下のようなプロセスで生じると考えられます:
- 変革型リーダーシップにより、部下の組織への愛着や一体感が高まる
- 組織への強い帰属意識が、企業特殊的な学習への動機づけとなる
- 結果として、より積極的な学習姿勢が育まれる
3. 雇用形態による違い
注目すべきは、これらの効果が正社員・非正社員という雇用形態の違いに関わらず確認されたことです。企業特殊的なスキルの習得は正社員により重要と考えられがちですが、変革型リーダーシップの効果は雇用形態を問わず普遍的であることが示されました。
勤続年数と学習意欲の関係
研究では、意外な発見もありました。それは、勤続年数が長くなるほど、学習志向性が低下する傾向が見られたことです。
この傾向は特に正社員において顕著でした。なぜこのような結果が出たのでしょうか?研究では、以下の2つの視点から説明を試みています:
キャリア・コンサーンの視点から
キャリア・コンサーンとは、現在の業績が将来のキャリアにどう影響するかへの関心を指します。勤続年数の短い従業員は:
- 昇進の機会が多く残されている
- 自身の能力を会社に示す必要性が高い
- 将来のキャリアへの不確実性が大きい
これらの要因により、より積極的に学習に取り組む動機が生まれます。一方、勤続年数が長くなると:
- 昇進機会が相対的に減少
- すでに能力が会社に認知されている
- キャリアの方向性が定まっている
結果として、新しいことを学ぼうとする意欲が低下する可能性があります。
ジョブ・ローテーションの影響
もう一つの説明として、ジョブ・ローテーションの影響が考えられます:
- キャリア初期:様々な職種を経験し、その都度新しい学習が必要
- キャリア後期:担当業務が固定化し、新しい学習の必要性が低下
特に正社員は非正社員と比べて、より多様な職種を経験する機会があるため、この影響がより顕著に表れると考えられます。
実務への示唆:変革型リーダーシップの重要性
この研究から、組織における人材育成に関して、重要な示唆が得られます:
1. リーダーシップの二重の効果
変革型リーダーシップは、直接的・間接的な2つの経路で部下の学習意欲を高めます:
- 直接的効果:上司の行動をモデルとした学習
- 間接的効果:組織コミットメントを通じた学習意欲の向上
2. 全従業員への普遍的な効果
雇用形態に関係なく効果が確認されたことから:
- 正社員・非正社員の区別なく、同様のリーダーシップを発揮することの重要性
- 多様な雇用形態が広がる現代において、特に重要な知見
3. キャリアステージに応じた支援の必要性
勤続年数による学習意欲の低下という課題に対して:
- ベテラン従業員の学習モチベーション維持への工夫
- 新たな挑戦機会の提供
- 経験を活かした役割の付与
まとめ:効果的な人材育成に向けて
本研究は、組織における学習促進において、上司の変革型リーダーシップが重要な役割を果たすことを実証的に示しました。特に:
- 直接的な影響と組織コミットメントを通じた間接的な影響の両面
- 雇用形態を問わない普遍的な効果
- 勤続年数に応じた課題への対応の必要性
これらの知見は、変化の激しい現代において、組織の持続的な競争力を維持するための人材育成に、重要な示唆を提供しています。
上司は、単に業務の指示や管理を行うだけでなく、部下の学習意欲を高める変革的なリーダーシップを意識的に発揮することが求められているのです。
参考文献
本記事は、以下の研究論文を主な参考文献としています:
砂口文兵 (2017) 「学習志向性に対する変革型リーダーシップの影響とそのメカニズムの検討」『経営行動科学』第30巻第2号, 83-97.
この研究は、大手小売企業の従業員2,648名(正規社員697名、非正規社員1,951名)を対象とした実証研究です。変革型リーダーシップが学習志向性に与える影響とそのメカニズムについて、組織コミットメントの媒介効果を含めて包括的に検討しています。
研究では、以下の主要な概念について、信頼性の高い測定尺度を用いて分析を行っています:
- 変革型リーダーシップ:Avolio & Bass (1995) のMLQ (Multifactor Leadership Questionnaire) の日本語版
- 学習志向性:Button, Mathieu & Zajac (1996) の尺度
- 情緒的コミットメント:Meyer & Allen (1984), Meyer, Allen & Smith (1993), Mowday, Steers & Porter (1979) の尺度を参考に作成
なお、本記事の内容は上記の研究論文に基づいていますが、実務家の方々にとってより理解しやすい形に再構成して解説しています。より詳細な研究手法や分析結果については、原著論文をご参照ください。
研究の知見をさらに深く理解したい方は、経営行動科学会の論文データベースから原著論文にアクセスすることができます。また、変革型リーダーシップや組織における学習に関する理解を深めたい方は、本研究で引用されている先行研究も参考になるでしょう。
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